はじめまして!
大分市でそろばんを教えているかぼすです。
88は、そろばんを弾く音からくっつけました。
自宅で教室を開いて3年。旧教室から含めると9年。(早い…)
とはいえ、まだまだ小さな教室です。
でも、夢とか野望(笑)はありすぎて、話したい。言葉にしたい。言葉にしないと、叶わないとか、忘れたり💦うっかりしてしまいそうなので、言葉に残していこうと思いました‼️
そろばんも含め、現在中2の娘を育てておりますので、育児や、昨今の教育関係に関しても色々お話させていただきたいと思うわけでブログの開設です。
お会いしたことのあるかた、ないかた、含めて、わたしのルーツを簡単に?手短に??
話せるか話せないか…書いてみないとわからないので、お時間あるかた、よかったらどうぞ→→→
失われた10年世代の1979年生まれ。今年は遂に40に‼️‼️なります。
そろばんを始めたのは7歳(小2)自宅から歩いて30秒でつくところに、師匠の教室はありました。(いや、まだまだ現役)
師匠についていろいろお話したいのですが、本人は顔出し名出し一切NG。奥ゆかしいお方なので詳しくは省きますが、ほんまでっかTVでお馴染み心理学者、植木理恵さんの通った教室です。私は年齢が少し違うのでお会いした記憶はありません。
そして、数年前ほんまでっかの取材がきました。
週3回通ったそろばん。私の習い事は、これひとつ。中学生になって部活を一週間で辞めてからは、高校に入るまで続けました。
特別好きだったかと言われると、そろばんが好きというより、教室が好き。
特別うまかったかと言われると、教室では1番だったけど、大会では、得意だった読み上げ算でしか優勝できない。
そう。好きなことはがんばるけど、苦手種目があったので、個人優勝には縁がないタイプでした。(苦手はみとりとみとり暗算)
恩師の教室では、中学生で続ける生徒はほどんどいませんでした。
師匠は、学業を重んじ、中学生はまず勉強!という方でしたので、中学生になるとよほど理由がなければ卒業させていたのです。
私がなぜ中学生の間そろばんを辞めなかったか。実はそこに大きな人生のターニングポイントがあったと思うのです。
我が家はこどもの頃から超!貧乏でした。
いろいろ事情はあったのですが、小6で、両親が離婚。
それからは、多感な時期ですので、超反抗期が思春期の私にやってきて、母と険悪になります。
母は、女手ひとつで兄(7つ上なのでほぼ大人でした)と私を養うため、昼はもちろん、時には夜も働いて、家にはあまりいませんでした。
反抗期にいろいろ重なって、家にはいたくない‼️と思うようになりました。
そして、中学でも、人間関係がうまくいかず、勉強もしなくなって、学校が大嫌いになった時期がありました。
家も学校もうまくいかないときに、唯一あった居場所がそろばん教室だったわけです。
そろばんでは、反抗することもなく、嫌な思いをすることもない、居心地のよい時間をすごしていました。
学校では、いわゆる問題児(笑)となっていた私に変わるきっかけが訪れました。
中学3年の時、何もかも嫌で、高校に行くのも考えていなかった頃です。
ある大会で、教室で同じ中学に通っていた1,2年生と団体で入賞することがたまたまありました。私が通っていたので、中学生で残る子が増えた頃です。
すると、その時の校長が、たまたま師匠のいとこで、学校に表彰状がまわされていたのです。
反抗期で、問題児としか思われていない生徒が、全校生徒の前で表彰されたわけです。
最高学年の私が当然一番に呼ばれますが、その時のざわめき(笑)いまでも覚えています。
「えっ なんの表彰だって?」
そんな声が聞こえました。
教師も半信半疑。当たり前です。いつも不貞腐れて言うことひとつも聞かない生徒が、そろばんしてるなんて、誰も知らないわけですから。
それから、まわり、というより、教師の態度が変わりました。
「もっと素直になれ」
「今からならまだ間に合う」
「商業に入ってそろばんすればいいだろう」
まわりが変わって、自分も意地を張って反抗するのを辞め、高校に行こう‼️と前向きな心境になり、無事商業高校に合格。
卒業するころには、友達も多くなり、すっかり丸くなり、高校では、珠算部に入部したわけです。
中学の頃は、いろいろうまくいかないことに苛立ち、自分のイライラの出すところが学校だったりしたわけですね。
でも、そろばんによって、初めて承認されたことで、自信が持てた。これが、私のターニングポイントです。
それからは、多少いやな目にあっても、人は人、自分は自分。
自分がしっかりしてればいいと思うようになったのです。
幼少から、兄に虐められて育ったせいか、本当に気が強かったため、男の子であろうと、先生であろうと、許せないことがあるとくってかかる性格でした。(今は大人なので違います‼️)そのせいか、今にして思うと、いじめのような目に遇うことも多かった。
それが。中学生で人間関係がうまくいかなかった理由です。
机に落書きされる、物がないとか。
当時は母も家にあまりいなくて、話すことも少なく、誰にも言えませんでした。
でも、怒りは外に出しまくった結果、まわりに当たり散らす。
当然まわりに人はいなくなる。
「学校は敵だらけ‼️」
と思い込み、ひとりでも平気‼️と言い聞かせたわけです。
誰にも言わないから(泣いたり言うと負けと思っていたので)教師は、いつも不機嫌な生徒、扱いづらいと思っていたことでしょう。
♪そんな、時代も、あぁったねと
笑って話せる日が今きました。
長く長くなったので今日はこの辺でまとめますが、今こうして、私がそろばんを教えようと思ったきっかけのひとつが、「わたしを救ったのがそろばん」だった、というお話です。
つづく→→→→→