kabosu88’s diary

大分市でそろばんを教えているアラフォー 主婦が、今時のそろばん、子育て、教育、その他日常で思ったことを独自見解でつぶやいていきます。時々愚痴や野望も。

日本の政治

政治家は国民の投票で決まるとは言うけれど。

組織で、〇〇党に、とか、名前書いて、とか、選挙権を持ったときから何かしらの組織から声がかかって、そこで大部分の票が動いているんですよね。

 

宗教も政治も、無信心無崇拝を貫いて、その時に正しいと思うところを選んで生きることにしていますが。

 

朝から大阪都構想のニュースと、麻生さんの発言のニュースを聞いていると、80歳の、大久保利通を高祖父にもち、政治家のトップの資産をもつ人に、老後の2000万円うんぬん、10万円の給付金、お金に困っている人は少ない?庶民の金銭感覚は到底お持ちでない方が、首相、大臣を歴任して、挙げ句庶民は困ってないでしょみたいな発言されると、なんでこんな方がいつまでもトップで政治家されてるの?って思ってしまう…

 

橋下さんは言いました。

高齢者の人口が多く、投票率も、高い日本ではなかなか変化は求められない。

人口の世代間の格差は、高齢者を向いて政治をしている自民党は、気にしないよね。今のままで選挙勝てるから。高齢者に手厚くして、今のままでいいやって思わせれば選挙勝っちゃうもんね。

 

大阪は、10年の都構想で良くなったから、20代の反対が思ったより伸びなかったと。

無関心で投票率が低いんだけど、1万7千…僅差

 

若者みんなが選挙に行ったら変わったかもしれない。電子投票があれば若者票が伸びたかもしれない。0歳からの選挙権があれば、子育て票が動く。だから、日本には電子投票は導入されないだろうし、今の政治家は不利になるから、選挙制度も変わらない。

 

よく考えよう。いまのままだと、わたしたちの老後は、こどもの未来は…………今の政治は、今のためにあるの?

 

橋下さんは、言いました。

見えなくても、不確実でも、変化をおそれず挑戦しよう!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もうすぐ11月

夏に更新したブログ!忘れる!でも、ブログは何でも書いちゃう♥

 

気づけばもうすぐ11月。11月といえば………歳取る( ゚д゚)ハッ!あと2週間で………

 

そんな中。オンラインも、やる子は慣れてきて、育成から早く帰りたいという一年生から、オンライン使えるかお試しの依頼が来ました。来れる日が増えるチャーンス✨練習しちゃってください!

 

オンラインを使って、コマ数増やして上手になる。追加料金いりませんよっ!Win-Winです😀

上手になってくれればそれで私は満足💕定員オーバーになるまでWelcomeですからね!

 

野望だらけの10月は準備段階

11月に全て動きだすけど…

今日師匠にも報告できたので、宣言します!

教室名、変えます!

もう一箇所、開けます(できれば年内)

やりたいこと全部やろうと決めたので、動きます!楽しみだなー開けれるかなぁ………

 

場所は大分市大道町!10年越しの夢の実現ですよ!大道のみなさーーーん、待っててください!

アイスコーヒーの季節

自分は、全国に店舗を展開する某コーヒーチェーン店に、通算6年勤務していました。

コーヒーが好きで、遂には店舗のコーヒー教室の講師を担当するようになっていました。

 

ズボラな自分は、直前にミルで豆を挽いたほうが

美味しいし豆の保存状態も保てると知っていても、買ったお店で挽いてもらうし、一杯ずつのドリップも買ってます。

忙しいときに、豆挽いて、とか、お湯沸かしてドリップするとか、なかなかハードルが高い。

そんなズボラな自分なりに楽しんでいるコーヒーライフについて。誰か読むのだ。まあ、いっか。

 

夏はアイスコーヒーが美味しい季節ですね。

もちろん、ブラック無糖派の自分。でも、アイスラテも好きです。

 

まず、ブラック無糖の既製品のおすすめは、セブンの牛乳のところにある、いつものアイスコーヒー!これが夏の定番です。ブラックの缶とペットボトルは、ちょっと飲めません(汗)理由はよくわからないけど、まあ、美味しくないので(笑)

ペットボトルに比べると100円くらいお高いけど、まあ、お店で飲んだりするよりは、安い!←定番の言い訳

 

牛乳と割るラテにはちょっとパンチかないので、ラテにするなら、DOUTORの、店舗で売ってるリキッドアイスコーヒーか、カルディのラベルが真っ白のアイスコーヒーあたりがおすすめです。

自分はミルク1/3くらいです。

 

あとは、ドリップしたり、水出しコーヒーで入れるアイスコーヒー。

違いは、すぐ飲むならドリップで、翌日の朝のためとか、帰宅後のために仕込むなら水出しです。だいたい5時間くらいしないと水出しは出ないので。美味しいお水と時間があれば、水出しがおすすめです。(ストレート飲みなら)まろやかで深い味わいが楽しめますし、出方でお好みで楽しめます。失敗もない。

 

ペーパードリップでアイスコーヒーを入れる場合、まず豆がホットの倍量で、ポットに氷をたくさん入れてからホットと同様ドリップします。

蒸らしを忘れずに。

 

濃ゆく抽出して、急冷することで、香りと味が凝縮されます。

抽出が終わったら、よく撹拌してくださいね。

 

アイスコーヒーのペーパードリップを淹れるときは、特にアイスコーヒーとして売られているものでなくてはいけないわけではありません。

ただ、氷を入れたり、冷やしても香りが飛ばない個性パンチが必要です。

なので、アイスコーヒーブレンドや、エスプレッソとして売られているものの他にチョイスするときは、深煎りである豆を選んで、いつもより少しだけ細かく挽いて淹れてみてください。

ドリップしたり、水出しを淹れて飲んでみると、

香りが立って買って飲むアイスコーヒーとは全然違う味を楽しめます。

 

 

 

そろばんオンライン授業始めました

タイトル通り。

コロナ禍でもなんとか現状維持をして持ちこたえつつ 自粛の元気のない世の中で自分がてきることは何かを考えてみて、動いていくと決めた春。

YouTuberとなり(オンライン準備と作問勉強と、なぜか減らないバイトのシフトで多忙につきサボり中ごめんなさい)

転校者を引き留めるため、6月よりオンラインにも対応(ほぼ個別対応中)

これからは、オンラインとリアルのハイブリッドで行くという、野望とともに走り始めました。

 

さあ、集客。集客するにはまた、勉強とお金がいる。PC も買ったし。

オンラインには、オンライン。

オンライン、家で楽しそうにやってる子を見て、始めて良かった。

さあ、どこに行こう。

私の妄想では、遠方に月1無料フォローのオンライン。週4回。

あとは、もう1箇所リアルの教室へ。週一リアル、週3コマのオンライン。

 

生徒を3倍(もとが少ない)増へ!

バイト辞めて本業一本化計画。

動画も作らねば…

 

 

YouTuberになる

久々すぎて、存在が危ぶまれるblog(笑)

 

2020年の春は、世界中に新型コロナウィルスによって、パンデミックが起こりました。

現在、日本全国に緊急事態宣言が発令…

 

こんなこと、生きてきて初めてです。

学校も休校になりました。

大型施設も休業、町からは人が消えて

大好きな飲食店は存続の危機にさらされています。

 

予防のマスクは店頭に並ばず、みんな手作りを始めています。

わたしも、大嫌いなお裁縫、仕方がないのでやってます。ミシン持ってないし。

 

学習塾にも休業要請が出されたため、珠算業界も危機的状況です。

 

自分は、まだ小さな小さな教室ですが、さすがにこの春、新入生は迎えられていません…

 

毎日、不安なニュース、自粛の中、学校に行けなくて、遊びにも行けないこどもたちに向けて、私にできることといえば…

 

オンライン授業、この先この病気と戦うには、今教えている少ない生徒さんに教える責任を果たしたすためにも必要。

全く知識がないので、予算的にもうちでできるのか、検討中。

 

季節がかわって、終息したら、習い事に行こうと計画されていた、多くのこどもたち、親子に、そろばんをアピールしたい。

 

家にいて、親子で過ごす時間も増えたかもしれない。一緒にそろばんができたら、興味もってもらえるんじゃないか…

終息したら、そろばん習おう、と思ってもらおうじゃないか‼️

 

そんなもやもやをすっきりさせるため、この度YouTuberになりました‼️思い付いてからひと月も経ってしまった…

 

全ては、不安に過ごす親子と、全国のそろばん教室のお役に立てれば、幸いです。

本当はもっと砕けた感じにしたかったけど、いざ作ると、緊張するし、難しい…

 

編集スキルもなさすぎて、娘にダメ出しを食らっています。

が、スモールステップでゴールはまだまだ。

きっと、スキルもアップすることでしょう(楽観主義)

 

教室検索、載せたいけど、ダメなのかな…

わからないなあ…リンク貼ったらダメかなぁ…

 

YAMA88ちゃんねる↓

https://m.youtube.com/channel/UC3uSQgfRZvTqF7_Tl-hM-8w

 

久々すぎて、存在が危ぶまれるblog(笑)

 

2020年の春は、世界中に新型コロナウィルスによって、パンデミックが起こりました。

現在、日本全国に緊急事態宣言が発令…

 

こんなこと、生きてきて初めてです。

学校も休校になりました。

大型施設も休業、町からは人が消えて

大好きな飲食店は存続の危機にさらされています。

 

予防のマスクは店頭に並ばず、みんな手作りを始めています。

わたしも、大嫌いなお裁縫、仕方がないのでやってます。ミシン持ってないし。

 

学習塾にも休業要請が出されたため、珠算業界も危機的状況です。

 

自分は、まだ小さな小さな教室ですが、さすがにこの春、新入生は迎えられていません…

 

毎日、不安なニュース、自粛の中、学校に行けなくて、遊びにも行けないこどもたちに向けて、私にできることといえば…

 

オンライン授業、この先この病気と戦うには、今教えている少ない生徒さんに教える責任を果たしたすためにも必要。

全く知識がないので、予算的にもうちでできるのか、検討中。

 

季節がかわって、終息したら、習い事に行こうと計画されていた、多くのこどもたち、親子に、そろばんをアピールしたい。

 

家にいて、親子で過ごす時間も増えたかもしれない。一緒にそろばんができたら、興味もってもらえるんじゃないか…

終息したら、そろばん習おう、と思ってもらおうじゃないか‼️

 

そんなもやもやをすっきりさせるため、この度YouTuberになりました‼️思い付いてからひと月も経ってしまった…

 

全ては、不安に過ごす親子と、全国のそろばん教室のお役に立てれば、幸いです。

本当はもっと砕けた感じにしたかったけど、いざ作ると、緊張するし、難しい…

 

編集スキルもなさすぎて、娘にダメ出しを食らっています。

が、スモールステップでゴールはまだまだ。

きっと、スキルもアップすることでしょう(楽観主義)

 

教室検索、載せたいけど、ダメなのかな…

わからないなあ…

 

YAMA88ちゃんねる↓

https://m.youtube.com/channel/UC3uSQgfRZvTqF7_Tl-hM-8w

 

 

 

よかったら、ご指導アドバイス感想お待ちしてます☆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自己紹介その②

こんにちは、かぼすです。

昨日、中学時代までお話しましたので、つづきをお話したいと思います。

 

中学生の間、そろばんを続けたことで、大きく道を踏み外すことなく、商業高校に合格することができました。

すると、中学卒業してすぐ、高校珠算部からお呼びがかかり、そのまま珠算部に入部する流れとなりました。なので、ここで一旦師匠のもとを離れることになります。

 

中学時代、そろばんだけでなく、応用計算(文章題の利息計算や売買計算など)をしっかり叩き込まれていたので、入学前に計算実務検定1級を合格していました。

その為、商業高校では、電卓実務1級をすぐに合格することができ、簿記計算も苦労せず、全商1級、日商2級を2年で合格することができました。

私の入学した頃はそろばんの授業もあり、

高校では中々楽しい(楽な?)時間を過ごしていました。

 

部活では、九州大会へ出場することもありましたが、教室でしていた練習と所属団体が違ったので、練習はなかなか、苦痛でした(笑)

高校ではそろばんは段位認定を受験していましたが、入部して最初の頃に昇段(日商の2段か3段)してから、すぐに行き詰まった記憶があります。

原因は見取り算が取れない。そろばんで弾いていたので、いつまでたっても取れませんでした。(そろばん談義についてはまた改めて)

 

高校の珠算部の思い出は、多くありません。

得意だった読み上げで入賞したくらいです。

 

高校を卒業して就職すると、結婚するまで

そろばんとは縁がない生活を送ります。

が!18歳まで続けていたことで、私の計算はいつまでも珠算式暗算のまま。

かけ算もわり算も。もう普通に計算することはできません。

 

 

結婚して娘を産んで、娘が幼稚園に通うようになって、「娘にそろばんを習わせよう!」

と思い立ちます。

娘が4歳のとき、師匠のもとを訪ねました。

就職の報告を18のときして以来です。

 

そのとき、師匠が私に言ったのです。

「自分で教えれば? 」

 

これが、ふたつ目のターニングポイントです。

師匠の言葉に、娘にそろばんを教えよう❗と決めました。

そのとき、近所のママ友たちも、こどもにそろばんを習わせたいと言い始めていて、それを師匠に相談すると、

「教えてみれば?教える勉強、ここで手伝ってすればいいし。」

と、提案してくれました。

師匠の教室は、当時住んでいたところから車で混むため30分。

この頃から、朝~14時すぎまで仕事→幼稚園のお迎えから、そろばん教室へ週3回直行して、19時まで補助で◯つけや教える→帰宅

他の日に近所のこどもさんに教える、という日々が小2まで4年ほど続きます。

このころがいちばんヘビーな生活でした。

まだ30代前半だったから、できた生活。

今ではしんどいと思います。

 

でも、やりたい、やろう!と思ったのは、

師匠を尊敬していることが大きかったと思います。師匠の自宅教室は、常に50~70名が12畳間に入れ替わりひしめく賑やかな教室です。

 

こんな私でも、人のために自分にしかできない特技を活かせること。

そして、そろばんが人生で役に立つことをわかっているのも自分で、それを人に教えるチャンスに出会えたこと。

 

師匠がくれたチャンス。

やってみたい‼️と素直に思えました。

 

前に書きましたが、私は失われた10年世代のど真ん中の世代。

就職するときには、超氷河期がやってきて、

就職することがやっと。

お給料も底値。

一旦辞めると、中途採用は全くない。

世の中には派遣とフリーターが溢れました。(私のいた大分の話ですが)

私も、最初の仕事を辞めると、結婚するまでフリーターでした。

結婚相手は、派遣切りにあった、同世代。

大袈裟ですが、将来や、世の中に希望をもったり、期待するのとのないまま大人になった人間です。もちろん、全てが世の中のせいだと思っているわけではありませんが、社会に出ていこうとしたときに、世の中が私たちを必要としていない空気であったことは事実です。やりたい仕事、行きたい会社、ではなく、どこなら行けるかと職探しをみんなしていました。

 

そんななか、なんとか職についた主人と結婚して、こどもを生んだとき、こどもを抱えて仕事をすることの難しさに直面しました。

保育園は、仕事をしている人のためのもので、これから仕事を探す人が入れる余地はありませんでした。これは今でもかわりないような…。

正規雇用の産休や育休の人は当たり前の様に保育園にすんなり入れているのを見て、羨ましく思ったものです。

 

3歳に娘がなって私立幼稚園に入るまで、某バーガーチェーンで夜にアルバイトをしました。

 

生活するためには働かないと、とてもじゃないですが、食べていけません。

 

このまま、アルバイトしながら歳をとるのかと20代の頃は、将来に不安を感じていました。

そんなときに、チャンスが訪れたわけです。

 

不安のなか、そろばんを教えてみたい!と強く希望したのは、自分の育ってきた境遇、今の子育ての状況が大きな理由となっているわけですが、それについてはまた次に続きます                                                                    →→→

 

はじめまして!

大分市でそろばんを教えているかぼすです。

88は、そろばんを弾く音からくっつけました。

 

自宅で教室を開いて3年。旧教室から含めると9年。(早い…)

とはいえ、まだまだ小さな教室です。

でも、夢とか野望(笑)はありすぎて、話したい。言葉にしたい。言葉にしないと、叶わないとか、忘れたり💦うっかりしてしまいそうなので、言葉に残していこうと思いました‼️

そろばんも含め、現在中2の娘を育てておりますので、育児や、昨今の教育関係に関しても色々お話させていただきたいと思うわけでブログの開設です。

 

お会いしたことのあるかた、ないかた、含めて、わたしのルーツを簡単に?手短に??

話せるか話せないか…書いてみないとわからないので、お時間あるかた、よかったらどうぞ→→→

 

生まれも育ちも大分県大分市です。

失われた10年世代の1979年生まれ。今年は遂に40に‼️‼️なります。

 

そろばんを始めたのは7歳(小2)自宅から歩いて30秒でつくところに、師匠の教室はありました。(いや、まだまだ現役)

師匠についていろいろお話したいのですが、本人は顔出し名出し一切NG。奥ゆかしいお方なので詳しくは省きますが、ほんまでっかTVでお馴染み心理学者、植木理恵さんの通った教室です。私は年齢が少し違うのでお会いした記憶はありません。

そして、数年前ほんまでっかの取材がきました。

 

週3回通ったそろばん。私の習い事は、これひとつ。中学生になって部活を一週間で辞めてからは、高校に入るまで続けました。

 

特別好きだったかと言われると、そろばんが好きというより、教室が好き。

特別うまかったかと言われると、教室では1番だったけど、大会では、得意だった読み上げ算でしか優勝できない。

そう。好きなことはがんばるけど、苦手種目があったので、個人優勝には縁がないタイプでした。(苦手はみとりとみとり暗算)

 

恩師の教室では、中学生で続ける生徒はほどんどいませんでした。

師匠は、学業を重んじ、中学生はまず勉強!という方でしたので、中学生になるとよほど理由がなければ卒業させていたのです。

 

私がなぜ中学生の間そろばんを辞めなかったか。実はそこに大きな人生のターニングポイントがあったと思うのです。

 

 

我が家はこどもの頃から超!貧乏でした。

いろいろ事情はあったのですが、小6で、両親が離婚。

それからは、多感な時期ですので、超反抗期が思春期の私にやってきて、母と険悪になります。

母は、女手ひとつで兄(7つ上なのでほぼ大人でした)と私を養うため、昼はもちろん、時には夜も働いて、家にはあまりいませんでした。

反抗期にいろいろ重なって、家にはいたくない‼️と思うようになりました。

そして、中学でも、人間関係がうまくいかず、勉強もしなくなって、学校が大嫌いになった時期がありました。

 

家も学校もうまくいかないときに、唯一あった居場所がそろばん教室だったわけです。

そろばんでは、反抗することもなく、嫌な思いをすることもない、居心地のよい時間をすごしていました。

 

学校では、いわゆる問題児(笑)となっていた私に変わるきっかけが訪れました。

中学3年の時、何もかも嫌で、高校に行くのも考えていなかった頃です。

ある大会で、教室で同じ中学に通っていた1,2年生と団体で入賞することがたまたまありました。私が通っていたので、中学生で残る子が増えた頃です。

すると、その時の校長が、たまたま師匠のいとこで、学校に表彰状がまわされていたのです。

反抗期で、問題児としか思われていない生徒が、全校生徒の前で表彰されたわけです。

 

最高学年の私が当然一番に呼ばれますが、その時のざわめき(笑)いまでも覚えています。

「えっ  なんの表彰だって?」

そんな声が聞こえました。

教師も半信半疑。当たり前です。いつも不貞腐れて言うことひとつも聞かない生徒が、そろばんしてるなんて、誰も知らないわけですから。

 

それから、まわり、というより、教師の態度が変わりました。

「もっと素直になれ」

「今からならまだ間に合う」

「商業に入ってそろばんすればいいだろう」

 

まわりが変わって、自分も意地を張って反抗するのを辞め、高校に行こう‼️と前向きな心境になり、無事商業高校に合格。

卒業するころには、友達も多くなり、すっかり丸くなり、高校では、珠算部に入部したわけです。

 

中学の頃は、いろいろうまくいかないことに苛立ち、自分のイライラの出すところが学校だったりしたわけですね。

でも、そろばんによって、初めて承認されたことで、自信が持てた。これが、私のターニングポイントです。

 

それからは、多少いやな目にあっても、人は人、自分は自分。

自分がしっかりしてればいいと思うようになったのです。

 

幼少から、兄に虐められて育ったせいか、本当に気が強かったため、男の子であろうと、先生であろうと、許せないことがあるとくってかかる性格でした。(今は大人なので違います‼️)そのせいか、今にして思うと、いじめのような目に遇うことも多かった。

それが。中学生で人間関係がうまくいかなかった理由です。

机に落書きされる、物がないとか。

当時は母も家にあまりいなくて、話すことも少なく、誰にも言えませんでした。

でも、怒りは外に出しまくった結果、まわりに当たり散らす。

当然まわりに人はいなくなる。

「学校は敵だらけ‼️」

と思い込み、ひとりでも平気‼️と言い聞かせたわけです。

誰にも言わないから(泣いたり言うと負けと思っていたので)教師は、いつも不機嫌な生徒、扱いづらいと思っていたことでしょう。

 

♪そんな、時代も、あぁったねと

笑って話せる日が今きました。

 

長く長くなったので今日はこの辺でまとめますが、今こうして、私がそろばんを教えようと思ったきっかけのひとつが、「わたしを救ったのがそろばん」だった、というお話です。

 

                                                 つづく→→→→→